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第24話 | (ちょうちんののいくさ) 挑燈野の戦(豊田町) |
これは、今からおよそ400年前のできごとです。挑燈野の戦いは、武田信玄と徳川家康の戦でした。それは家康の負け戦で、うまい退却戦のひとつでもありました。武田軍に追われた徳川軍は、浜松城に退却する途中、一言坂より西1キロの所(現在の豊田町上万能地区)で急追する武田軍を迎えて布陣を敷きました。 当時この地域は石動といわれた沼地で川がありました。家康は、橋をこわして布橋にし、武装したわら人形を多数置き、松林にはたくさんの挑燈やのぼりを掲げて大軍がいる様に見せかけました。 武田軍は、この陣を目指してなだれの様に突撃しましたが、布橋の為に次々と石動に落ち、多くの戦死者を出したといわれています。 こうして戦に勝った家康は、池田の渡し舟を利用し天竜川を渡ると、無事浜松城に退却することができました。 当時の村人たちは、この戦での戦死者を弔い、この地を挑燈野と名付けました。昔は、「万能蛍」という大きな蛍がたくさん飛んだところで、武田軍戦死者の霊魂だと伝えられています。 (「ふるさと豊田改訂版」より) |
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