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第37話 | (しのぎのむら) しのぎの村(磐田市) |
磐田市に合併前の、磐田原の中央地区は、「大藤村」であった。この大藤村のその前は「滋野木(しのぎ)村」と言っていた。それについては、こんな話がある。 400年の昔、徳川家康は戦いに敗れて、この地に逃げてきた。そして村の中ほどにある、大きな藤の下にかくれて、じっとして居たが、敵兵の追撃は、いよいよと激しくなって来て、今はどうにもならなくなってしまった。「駄目だ。ここは駄目だ」家康はそう言って、 「敵兵の驟雨の如き大軍に我如何にても凌ぎなからん」と歌を詠み、特に、「凌ぎ」という事を大声で言って、何れともなく逃げて行ってしまったと言う。 それ以来ここを「滋野木村」と言うようになったが、その後、家康の隠れた大藤の棚が、35メートル四方にも及ぶようになったので、「大藤村」と改めたという。 この大きな藤は今も尚、大藤小学校の校庭に残っている。 (「家康のゆかいな伝説101話」より) |
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