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中遠昔ばなし

第39話   (ほうだかんのんのゆらい)
祝田観音の由来(浅羽町)

祝田観音の由来(浅羽町)

 後奈良天皇時代(1539〜1567年)のお話です。
 都の貴族である中納言の姫君は、両親を亡くし、父の形見の観音様を守本尊として乳母に伴われて伊勢に移り住みました。
 乳母も亡くなり孤独な身となった姫に、ある日、尼僧が訪ねてきて、遠州の浅羽庄司(現在の町長にあたる)が妻を探していることを話しました。姫は観音像を厨子に納めて伊勢に残し、その鍵だけを持って浅羽庄司に嫁ぎました。
 庄司の家にはあの尼僧がいて姫の世話をしてくれていましたが、その尼僧が家を去ることになりました。
 姫は感謝の印として尼僧に練絹一重を贈りました。その後、姫は伊勢に残した観音像を取り寄せて厨子から取り出すと、そこには尼僧に贈ったはずの練絹を着た観音像があり驚きました。
 庄司夫妻は今回の縁談が観音様の取り計らいであったことを知り、庄司ゆかりの祝田の山(引佐郡)に御堂を建て、そこに観音像を移しまつりました。

(「浅羽風土記」より)

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