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第40話 | (いけだわたしぶねでんせつ) 池田渡船伝説(豊田町) |
江戸時代に池田は、天竜川渡船の権利を独占していましたが、この特権には次の様な伝説があります。 元亀3年(1572年)、徳川家康は一言坂の戦いで破れ、数人の家来を連れて池田まで来たが、土地の人は戦場になることを恐れみんな逃げ去ったので一人も居ませんでした。 家康はあちらこちらさがし回って竹薮の中にかくれていた、元紀州の浪人藪の内善右衛門を見つけて、是非天竜川を渡してくれと頼みました。渡船方の庄屋をしていた善右衛門は気の毒に思い、船頭衆を10人程呼び集め西岸の半場まで無事に渡すと、家康が「ここは何と申すか」と聞いたので、「半場と申します」と答えたところ「これから半場の姓を名乗れ」といわれたということです。 また、家康を西岸に渡してから、武田軍が追撃しては気の毒だということで舟を行興寺の西の池に沈め、櫓を天白神社境内にあった池にかくし、後にそれぞれ「舟かくしの池」、「櫓かくしの池」というようになりました。このような事から、家康を助けた恩賞として天竜川渡船の特権を与えられたということです。 (「豊田町別編2」より) |
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