むかし神田村(豊岡村神田)を流れる天竜川のどんぶちに、年をとったカッパがすんでいて、時々村人にいたずらをしました。ある日、伊折(豊岡村神田)の為さんは一里(約4キロ)も離れた三家村(豊岡村三家)に用事で行きました。その途中、例のどんぶちの近くにくると、一人の若者が待っていました。若者は「これを渡してください」と言って、為さんに手紙を渡しました。人のよい為さんは「これをどこの誰に渡すのですか」と若者に聞くと「壱貫地村(豊岡村壱貫地)に着いたら、川に向かって手をたたいてください。そうすると、若者が来るからその人に渡してください」と言って、どこかへ消えてしまいました。そして為さんが一町(約109メートル)程歩くと、後ろで坊さんが為さんを呼びました。「どこへ行く。今日はやめて明日にしたら」というので、為さんは「人に頼まれたことはやめないよ」と言いました。しかし、坊さんが「それを見せてください」と言ったので、そのむすび文を見ると、そこには何も書いてありませんでした。これはおかしいと川の水に浸すと「この者はうまそうだからすぐ食べよ」と書いてあったから、たまげた二人は震えてしまいました。そして、坊さんが東側の畠でまじないをし、それを為さんに持たせました。為さんはそれを持って壱貫地に着き、川に向かって手を打ちました。すると、若者が出て来たので、手紙を渡しました。すると、その若者は変な顔をして、「これは違う」と言いました。為さんが「確かだ」と言うと、「そうか」と頭をかしげましたが、「ちょっと待ってくれ」と言ってどこかへ行ってしまいました。間もなくその若者が戻って来て、「これはひとつしかない皿だ。大事にしな、1日に朝と晩2度、頭の上に乗せてなでると望みがかなうが、3度なでるな」と言って、行ってしまいました。為さんは、三家の用事が済んで家に帰ると、早速先程もらった皿を頭に載せて、「お米がほしい」となでると、お米が出ること出ること。間もなく六畳一杯の米が出てきました。為さんは、喜んだり驚いたりニコニコしたりしました。間もなく、為さんはお米で近在に聞こえた長者になりました。
これを聞いた隣の欲の深い婆さんは、為さんの留守に皿を盗みました。婆さんが頭に乗せた皿をなでると、お米が出てきました。ますます喜んで、つい夢中でなでると、お米が砂になってしまいました。そのとき若者が飛び込んできて、「婆さん約束だ、後の世まで盆月に川に入るな」といって去っていきました。間もなく盆が来ると、神田のどんぶちで、婆さんはおぼれて亡くなりました。それから誰となく「婆さんは尻子玉を抜かれた」と噂がたって、くる年もくる年も、このカッパが悪さをして、子供や大人がどんぶちでおぼれました。それから村人は盆月に川で遊んだり、水遊びに行くとカッパに尻子玉を抜かれると言うようになったとさ。 おしまい
(「豊岡物語」より) |