中遠広域事務組合
トップ お知らせ更新情報 中遠広域事務組合 粗大ごみ処理施設 一般廃棄物最終処分場 中遠めぐり 中遠昔ばなし ごみ探検隊 環境への取り組み リンク
トップ中遠昔ばなし > 村を救った八衛門(福田町) ←前へ戻る

中遠昔ばなし

第47話   (むらをすくったやえもん)
村を救った八衛門(福田町)

村を救った八衛門(福田町)

 昔から川の氾濫により村々は水害に苦しんだ。従って、どこの村でも周囲に堤防を築いて、村を守った。
 話は今から350年程前寛永年間(1624〜1643)にさかのぼる。南島村(現福田町)に八衛門という百姓が住んでいた。何日も降り続いた雨のため太田川が決壊し、附近の村々は洪水に襲われ、南島村より上の村々では田畑は勿論、家屋敷まで水浸しとなった。水没した稲や家を守るためには、一刻も早くこの水を下手に排水しなければ、全くの死活問題で、もはや一刻の猶予もなかった。
 そこで上手の村人は、この水を排水しようと一団となり、南島村と蛭池村の境にある堤防を切りにかかった。この堤防を切られると上手の村は助かっても、下手の村は全滅してしまう。このため、上手の村々と下手の村々との間で、堤防の上で生死をかけた攻防戦がくりひろげられた。その時、八衛門は先頭に立って戦ったが、相手方の放った矢が脚にあたり、倒れると同時に渦まく濁流にのみこまれてしまった。まさに水争いによる犠牲者で、彼の努力の結果、争いはしずまり、堤防は切られずにすみ、南島村では、その後安全な日々を送ることができた。その後、八衛門の子孫である川島家で、子供が熱病におかされ、その上、脚が痛くなって歩けなくなった。心配して祈祷師を通して神にうかがったところ、「南島の用水掘の近くに一坪の祠を建てて、弓矢をまつって若宮様と称せよ」とのお告げがあった。
 その土地は山上氏のものだったので、売却を依頼したが承諾を得られなかった。そのうちに、今度は山上氏の子どもの脚が動けなくなってしまった。そこで、彼は土地を売却したところ、子どもの脚がなおった。勿論、川島家の子どもの脚もよくなった。
 村人は、その後祠を「若宮様」と称して、毎年4月には村全体としてお祭りをして、八衛門の遺徳をたたえている。

(「年中行事と昔ばなし」より)

←前へ戻る

COPYRIGHT (C) CHUEN AREA JOINT ADMINISTRATION BLOC OFFICE ASSOCIATION ALL RIGHTS RESERVED. ↑このページの先頭へ