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第55話 | (しんじゅうまつ) 心中松(福田町) |
現在、雁代の中央を東西に走る国道一五〇号線、太田川橋東詰めの南堤防沿いに二本の松がつい最近まで聳えていた。この松を村人は心中松と呼んでいた。 最近発生が予想される東海地震、その津波対策の防災事業としての堤防かさ上げ工事のため、伐り倒されて残念ながら今は見ることは出来ない。 以前、この松の根元に小さな石塔がひっそりと置かれていて、これが松の名となった悲恋心中の男女を葬った墓であると伝えられていた。 この物語の年代は詳しくは判らないが、明治のはじめのころではないかと思われる。話は当時にさかのぼるが、紀州の薬問屋の若い番頭が、見付に宿をとって附近の村々を薬の行商をして回っていた。 独身の血気盛んな番頭は、一人身のさみしさをまぎらすため、見付の遊廓に足を踏み入れたのが病みつきになり、一人の遊女と馴染になってしまった。 何回となく足を運ぶ内に、好いて好かれて行末まで固く誓い合うまでになり、お互いに別れられない仲となってしまった。然し奉公中の行商人風情では、大金を積んで身受けすることなど到底出来る話ではない。さりとて一日も逢わずにはいられない。 無理して逢瀬を重ねているうちに、売上金までも使い果たしてしまい、もうどうにもならない土壇場に追いこまれてしまった。思いあまってこれを女に打ち明けると、あなたと別れる位ならいっそ死んで、あの世で添いとげようということになった。 ある豪雨の夜、二人はしめし合せ、人の寝静まった真夜中、廓を抜け出し三ヶ野橋のところまで来た。二人は身体を紐でしっかり結び、折からの大雨で増水した太田川に身を投げた。忽ち押し流され濁流に呑みこまれてしまった。そして下流のこの松の根元に引っ掛ったのだった。翌朝、流木を拾いに来た村人に発見された。若い男と一目で遊女と知れる女の抱合心中を見て、事情を察した村人達は、大へん哀れに思い、なきがらをこの松の根元に埋め、無縁仏として手厚く葬りその冥福を祈ったという。その後、誰言うとなくこの松を心中松を呼ぶようになった。 この事件があってから数年後、紀州の薬問屋の主人と名乗る、立派な恰幅の人が尋ねて来て、遺体を堀り起し、あらためて茶毘にふして持ち帰ったという。 当時この心中物語りは大評判であったというが、人の噂も次第にうすれ、百年以上たった今では、この松の存在を知っている人も少なくなってしまった。いま心中松のあったところは、かさ上げした堤防の下になり、橋のたもとを吹き抜ける川風のほか当時を偲ぶものはない。 |
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