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第62話 | (ひやざけせいべえ) 冷酒清兵衛(磐田市) |
磐田市見付宿は、磐田原のきれいな水が湧き出ていて、どぶろくや、清酒を作るのに適していました。 その昔、馬場町に住む上村清兵衛は酒を作り、いつも冷酒を飲んでは、自慢していました。ある日、領主の徳川家康が見付を訪れた時、清兵衛が、自慢の冷酒を勧めたところ、家康は、たいそう気に入り、清兵衛を『冷酒清兵衛』と呼ぶようになりました。 しばらくして、家康が、見付の東側に来た時のことでした。家康をねらっていた武田方の武士に追われて、命かながら見付宿まで逃げて来ました。清兵衛は、家康を何とか追っ手から守らなければと、見付宿のあちこちに火を放ち、敵が街の中に入れないようにしました。 武田方は三本松(富士見町)まで追ってきましたが、既に見付宿は火の海になって通れません。南を回れば水田で遠く、北は山道で追うこともできず、立ち往生していました。この間に、家康は、清兵衛の案内で、橋羽(浜松市中野町)の妙音寺まで逃げ、その夜は一泊し、翌日、無事、浜松城へ帰ることができました。 清兵衛は家康から、手柄として一本の名刀をもらいました。それから家康は、見付を通るたびに、清兵衛のところに立ち寄りました。その都度、清兵衛から勧められた冷酒を、家康が飲み干していったので、ますますその名が広がったといいます。 (磐田むかしばなしより) |
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