田舎の町や村にまだ電灯がなく、暗いランプ生活をしていたころ、7才の岩吉は父親の亀吉に連れられて、中野(福田町)にある銭湯への道を歩いていました。
途中、白山神社の裏の堤防から、小島の堤防を見て亀吉が「ああ、今夜も『きんないちょうじ』が通るなあ」とつぶやきました。岩吉が恐る恐るそちらを見ると、青白い炎が小島の堤防を南の方へ動いて行くのがはっきりと見えました。「おっとう、おっかないよう」と亀吉にすがりついて顔を上げることができませんでした 。
また、福田のある家では、急病人がでたので、浅羽のお医者さんに往診をお願いしたのに一向に来ませんでした。心配になり家族が探したところ、すぐに高島の切割りで、先生を見つけることができました。
ところが、先生は、道端にかがんでいたので家族が尋ねると、「私がここまで来たら、『病人を連れてきたので診てほしい』と声を掛けられてね。どうも、体が冷たかったので、あわてて注射を打ったところだ」と先生が言いました。
「そんなばかな」と、家族は目を丸くして、病人が乗っているという荷車を見てみると、何と車一杯に積まれていた大根に注射していたのでした。
こうしたことが、この場所でたびたび起こるのは、高島に住む狐の仕業にちがいないと思ったある老夫婦が、堤防に小さな祠を建て、観音像を石に刻んで祀りました。やがて、町や村にも電灯がともるようになり、このような話は聞かれなくなったといいます。
(年中行事と昔ばなしより) |