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第66話 | (まえはまのぎょうじゃどう) 前浜の行者堂(浅羽町) |
今から140年の昔、慶応元年のお話です。 湊村に鈴木伝七という近隣に名を知られた修行者がいました。ある夏の日、伝七は九人の弟子と共に、全国から山伏の修行者が集まる、奈良県の「大峰山」の「小篠宿」に修行に出掛けました。 そこには山伏の元祖、「役行者の尊像」が祭られていました。しばらく修行を続けていると伝七たちは、「どうしても役行者の尊像を地元の前浜に迎えたい」と願い、仏師に必死になって「同じ姿の像をもう一体彫って下さい」と頼みました。 修行をしながら待ち続けたところ、一か月後、実物と見分けのつかない見事な尊像が出来上がりました。 伝七たちは、急いで尊像を持ち帰るため、険しい山々を交代で尊像を担ぎ、二週間かけてようやく湊村に着きました。 村人たちは、この噂を聞きつけ、「そんなにありがたい尊像なら、みんなで、お堂を建てようじゃないか」と大勢の人が集まり、伝七の土地に、あっという間に小山を築き、「大峰山」と額を掲げたお堂を建ててしまいました。 その後、このお堂は「前浜行者堂」と呼ばれ、浜一帯の漁師を中心に「大漁祈願の行者さま」、「何でも願いをかなえてくれる行者さま」として慕われ、御開帳日にはたいそうにぎわいました。 (「慶応元年八月奉納絵馬・大正二年前浜役行者神変大菩薩縁起碑より) |
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