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第76話 | (かすいおしょう) 可睡和尚(袋井市) |
遠州三山の一つ可睡齋はその昔、「万(ばん)松山(しょうざん)東陽(とうよう)軒(けん)」という小さなお寺でした。このお話は可睡齋が東陽軒と呼ばれていた頃のお話です。 今から四百年も昔のことです。岡崎城で生まれた竹千代(後の徳川家康)は、少年の頃今川義元に人質に取られて、駿府城に入れられていました。 竹千代は三河へ一夜でいいから亡くなった父の墓参りをしたいと思っていました。そのことを今川家の菩提寺にいた等(とう)膳(ぜん)和尚(おしょう)が知り、竹千代を駿府から逃すことを考えました。ある時、竹千代が町へ出たときです。和尚は今川の役人に見付からないよう、「つづら」に竹千代を隠して下人に背負わせ、清水港に向かい和尚が手配してあった船に乗って遠州灘をよこぎり、無事岡崎へたどり着きました。 やがて浜松城主となった家康が旧恩に報いるため和尚を浜松城内に招いたところ、和尚はコックリコックリ睡りを始めた。これを見た家康は、「和尚我を見ること愛児の如し、故に安心して眠る。我その親密の情を喜ぶ。和尚睡る可し。」と語り、それから等膳和尚は「可睡和尚」と改め、袋井の久能にあった東陽軒を「可睡齋」として大きなお寺を建て、可睡和尚を住職として、駿河、遠州、三河、伊豆四ヶ国の 僧録司(そうろくす)という行政取締役の職をあたえ拾万石の待遇にせられました。 (「袋井の昔話」より) ※つづら:フジのつるで編んだ、衣服など大切なものを入れる箱形のかご |
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