今から400年以上も昔の永禄11年、徳川家康が遠江地方に勢力を伸ばしてきた頃のお話です。
三河岡崎から遠江に遠征してきた徳川家康は浜松城を手中に収めたとは言え、東には掛川城、高天神城、北に二俣城、西に佐久城、宇都山城などがあって、武田勢、今川勢の残党が根を張っているかも知れず、決して安心はしていられませんでした。
次の年の永禄12年1月、家康は350の軍勢を率いて、見付の端城(はじょう)を奪いました。その後「もう少し東を探ろう。」と家来10数人を伴って東へ向かい、磐田原を三ヶ野坂まで下ってきました。
そして、西島、木原、土橋まで来たとき、日が暮れてしまいました。一行は土橋の庄屋の家と、近くの熊野神社に一泊しました。家康は土橋の庄屋の家に厄介になり、もてなしを受けましたが、家来たちは自らご飯を炊いて食事をしました。
翌朝、村人が起きたとき家来の一人が神社横の小川で鍋を洗っていました。当時の戦陣では鍋は大切な兵器でした。鍋一つあれば、ご飯を炊き、おかずを煮、湯を沸かすこともできます。また、いざ戦ともなれば、甲の代用にもなるという大変重宝なものでした。けれどもそれを知らない村人は「武士が鍋を洗っている」と珍しく見たことから、この地を「鍋洗い」と言うようになりました。
また、このとき家康が腰を掛けた石があり、この石を「家康腰掛の石」として木原の許弥神社(こねじんじゃ)の境内に今も残っています。
(「袋井に伝わる昔話」より) |