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第84話 | (しあんぼうだいごんげん) 思案坊大権現(森町) |
谷中(やなか)と中川(なかがわ)のさかいにある雲林寺(うんりんじ)は、今から600年ほど前の応永15年に如仲禅師(じょちゅうぜんじ)によって建てられたお寺だそうです。そのお寺の小高い丘の上に祠(ほこら)が建っていますが、これが思案坊大権現です。 慶長(けいちょう)19年(1614)に信濃国(しなののくに「今の長野県」)から一人の坊さんが、修行(しゅぎょう)をしながら仏様の教えを多くの人に伝えるためにやってきました。途中、谷川(やがわ)村の久昌院(くじょういん)というお寺に足をとめられ、長く住むことになりました。 ある日のこと、坊さんは深く考え思い悩んだすえ、長生きできる天狗(てんぐ)となって、雲林寺の守護神(しゅごしん)として、世の人々のためにつくそうと決心しました。それから長い間来る日も来る日も、はげしい修行を続けました。 それを見た村の人たちは、だれいうこともなく「思案坊権現」とよぶようになりました。 この坊さんが信濃から来るとき、背負(せお)ってきた「きゅう」※注 の金物には、すべて菩薩(ぼさつ)の像(ぞう)が彫刻(ちょうこく)してあり、久昌院の宝物(たからもの)になったとのことです。また、思案坊権現の祠わきには、3メートルにも及ぶ大きな石がありましたが、これはこの坊さんが修行したときの台座(だいざ)※注 だとのことです。 ※大きな石は現在ありません。 ※注 きゅう(笈)… 行脚僧(あんぎゃそう)・修験者などが、旅の際、物を入れ背負って持ち運ぶ、竹に編んだ箱。「おい」ともいう。 台座 … 像を安置(あんち)する台。 (「森町ふるさとの民話」より) |
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