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中遠昔ばなし

第91話   (ほりこしじょう)
堀越城(袋井市)

堀越城(袋井市)

 北地区堀越の若草幼稚園北側に昔、堀越城がありました。
 今はこんもりした小高い山だけでお城らしいものは何も残されていませんが「城山(しろやま)」という地名が残され、こんなお話も伝えられています。
 このお城は今川貞世(いまがわさだよ)[今川了俊(いまがわりょうしゅん)]が築いたものといわれていますが、いつ頃築いたかは明らかになっていません。
 今川貞世は応永27年(1420年)8月に亡くなっていますが、この地方は今川貞世の子孫が治めていました。
 永正3年(1506年)今川氏親(いまがわうじちか)が、東三河から西三河にかけて勢力を伸ばそうと、伊勢新九郎長氏(いせしんくろうながうじ)[後の北条早雲(ほうじょうそううん)]を総大将として1万余の軍勢を率いて、家康の5代前の松平長親(まつだいらながちか)を攻めました。この時も遠江勢として参加した堀越城の一族は、大きな功績を残しています。
 ところが今川貞世から5代後の「治部少輔貞基(じぶしょうすけさだもと)」の嫡子「堀越氏延(ほりこしうじのぶ)」は、永禄6年(1563年)今まで仕えていた今川氏にそむいて武田信玄に味方するようになりました。
 これは今川氏の勢力が次第に衰えてきたからです。
 かねてから武田は駿河を、徳川は遠江を奪おうとしていましたので策略が結ばれたのです。こうした中で今川氏に仕えていた諸城の城主たちも徳川につく者、あるいは武田方にさそわれる者等、強いと思う方へ味方するありさまでした。
 もちろん堀越城の「堀越氏延」も「今川氏真(うじざね)」は忠誠を誓う人物でないと見切りをつけ、武田方に走ったのでした。
 これを知った今川氏真は自分の一族から謀反第一号が出ては他の武将への見せしめにならぬと一挙に堀越城を囲んで「堀越氏延」を滅ぼしてしまったのです。
 この「堀越氏延」には子供が一人ありました。名前を氏直(うじなお)といい、父が討死してからは山名郡諸井村に落ちのび、武士をすてて百姓に身を変え「諸井九郎右衛門(もろいくろううえもん)」と名乗り余生を送りましたが、元和6年(1620年)にこの世を去っています。

(「袋井に伝わる昔話」より)

遠江今川氏(掘越氏)の祖・今川貞世(了俊)の供養塔:海蔵寺   海蔵寺より袋井市街を望む
遠江今川氏(掘越氏)の祖・今川貞世(了俊)の供養塔:海蔵寺   海蔵寺より袋井市街を望む

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