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第118話 | (なぐらしょうだゆう) 名倉庄太夫(袋井市) |
今から三百四十年位前のお話です。 新池村の庄屋名倉庄太夫は、領主「加賀爪甲斐守(かがつめかいのかみ)」のあまりにきびしい治め方に反抗して、たびたび嘆願をしました。けれど領主は聞き入れてくれません。 庄太夫は百姓たちの苦しみを救おうと堅く決心し、自分を犠牲にし、ただ一人だけで直訴(じきそ)を計画しました。 一人で殿様の所へ出かけましたが、途中で見つかり捕えられてしまいました。そして村人を思う気持の書いてある直訴状も奪われ、直訴の罪は免れず、駿府の牢屋に入れられてしまいました。 庄太夫は毎日毎日引き出されては、責めせっかんされ、肩から背中お尻へと青竹で打たれ、皮ふは破れ、血は吹き出し、さすがの庄太夫もこの苦しみでやせ衰え、牢屋の中でうめいていました。 ある日の夜中、庄太夫は枕元で呼ぶ声を聞きました。 「庄太夫、庄太夫、汝には剣難がつきまとう、我を念ずれば、今の剣難は避けられるであろう」という声でした。 庄太夫は夢うつつで眼をあけてみると、ただひとり富士山のふもとに来ていました。びっくりしてあたりをみますと、眼の前に一人のお坊さんが立っていました。 「我は、岡山村岳王山不動尊(がくおうさんふどうそん)の化身である。汝の念願によって助け出してここに連れて来たのだ。これより乾(いぬい)(北東)に当る如来様にお参りすれば罪は許されるであろう」と言いました。 と、そのとたんお坊さんの姿は消えてしまったのです。 庄太夫は地面にひれふして、ただ胸がいっぱいになってしまいました。 自分が日頃信仰している岡山の「不動明王」お不動様のお蔭で助かったのだ。ああ有りがたい事だと、早速乾の方角にある善光寺に行き心からお参りをしました。 そして三年の後に新池村に帰り、助けていただいたお不動様にお礼として厨子(ずし)を奉納しました。 ◇ ◇ ◇ このお話にある岡山村とは、今の浅名、岡山部落の事でそこにある了教寺(りょうきょうじ)には不動尊がまつられてあります。そして厨子は名倉庄太夫が献納したものと伝えられています。 この厨子、十二年に一度酉年に開かれ、まつり事がおこなわれています。 庄太夫のお墓は下新池の竜光山全法寺(りゅうこうざんぜんぽうじ)の墓地にまつられてあります。 一万石の大名になりたい為、新池の田んぼを余分に申請していた領主加賀爪甲斐守。 この為、年貢を収めるのに苦労し、幕府へ直訴した名倉庄太夫です。 村人思いの庄屋様のお話です。 (「袋井に伝わる昔話」より) |
岳王山了教寺(浅名) | 名倉庄太夫のお墓(新池:竜光山全法寺) |
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