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中遠昔ばなし

第119話   (ふるげんのたび)
古源のタビ(磐田市)

古源のタビ(磐田市)

 ある年のこと、大名行列が見付の宿(磐田市見付)へ泊ったときのことでした。その家臣で身の丈(たけ)七尺(身長約二メートル)の人が、古田屋へ来てタビを注文しました。普通の店ではこんな大男に合うような大きなタビは、揃(そろ)えていませんが、古田屋の主人は直ちに十六文(三十八センチメートル)のタビを差出したので、侍はとても喜びました。
「鳥目(ちょうもく)(代金)は三百文いただきます」
と言うと、背の高い侍は、お金をひょいと古田屋の庇(ひさし)の上に載せ、
「代金を置きますよ」
と言って立ち去りました。
 古田屋源太郎はとても商売熱心で、家業に専念していましたから、あるとき、職人に十六文のタビ型を作らせました。職人はこんな大きなタビは看板に飾っておくものと思って、ていねいに作って主人に差出しますと、源太郎はそのまま製品をしまっておきました。このタビが大男の侍に役立った訳です。この話が評判になって、古田屋へ「古源のタビ」の注文が増えるとともに、評判を聞いた諸大名からも注文があって、五十人余りの職人を雇って、店が繁昌したと言います。天保十三年(1842年)の見付宿の図の中には、タビを商う専門店が七軒記されています。
 見付宿の古田屋は、三河国古田村(愛知県)の出身で喜八郎という人が、見付へ住むようになってからだと伝えられています。二代目の三左衛門は俳諧の上手な人で
「紅(くれない)に見しその後や雪の木々」
の句が、秋葉山奉納額に残されています。
 六代目の古田桂所(ふるたけいしょ)は、幕末の能書家で有名な人ですが、古田源太郎は、この古田の家系の人だと言われています。

(「磐田むかしばなし」より)

現在の旧見付宿   見付宿の名残(旧見付宿脇本陣大三河屋門)
現在の旧見付宿   見付宿の名残(旧見付宿脇本陣大三河屋門)

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