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第122話 | (りょうをやめたそうきち) 漁をやめた惣吉(磐田市) |
「板子一枚下は地獄」といって、海で生きる男たちに自然はいつも過酷(かこく)であった。まして今日(こんにち)ほど気象情報がととのわず、動力以前の和舟に於いては、常に危険がともなった。そのかわり、珍しいこともある。 鰯の群を追っていく鯨(くじら)と出会ったり、洋上でのんびりと甲ら干しする大亀も見た。やけに船脚が重くなったと思ったら、海面からニューッと手?が延び、漁師の足首をつかむのである。人を海中へ引きずりこむ海坊主、――おおだこの出現だ。そんなときは用意のナタ包丁で思いざま、巻きついた手を切り落とすのだという。 いつの頃か惣吉という漁師がいた。彼の乗る船はきまって豊漁が続いた。村いちばんの器量良しのしのと、想い思われて結ばれた仲である。ふたりの子供をもうけたが、しのはなぜか病弱であった。 とある春先のこと、いつものように海へ出た。漁で夢中になっているうちに、かなり沖まで出たらしい。それまでベタ凪(なぎ)だった海面が、にわかに波立ち、風が出てきた。空も曇った。今でいう前線の通過であろう。そうそうに漁を切りあげ帰りを急いだ。 思いがけない嵐となった。篠(しの)つく驟雨(しゅうう)、さかまく怒濤(どとう)、船は木の葉のように揺れ、思う通りに舵(かじ)がきかない。船頭の叱咤(しった)する声も風波にかき消される。皆の脳裏を不吉な翳(かげ)が過(よぎ)っていった。 うす闇のなかに大きな船が近づいてくる――千石船らしい。帆柱は折れ、帆は破れ、綱もゆるんで人影もない。うわさの幽霊船だ!海の墓場へ誘(さそ)いこみ、誰も生きて帰れないという。惣吉らの船は船尾(とも)から、たぐられるように沖へ連れ戻された。 そんなとき船首(みよし)に光るものがある。荒れ狂う波間に金色の光を放ちながら漂っていた。仏像のようでもあり、人にもみえた。面は伏せてわからない。光は、船を先導し陸をめざして進み始めた。そこだけは風雨がそれた。幽霊船は消えている。 陸が見えた!厚い雲間を破って、一条の光線がとどくと、波間の御姿は光線のなかを空に向って昇っていった。かいま見たお顔は、しのに似ていた。天女のように神々しく、かろやかであった。惣吉は不思議な感動と妙な胸騒(むなさわ)ぎをおぼえ、はやる気持ちをしずめかねた。 船の帰りを心配し、浜に集まった村人のなかに、発作(ほっさ)で息を引きとったしのの姿があった。ぬくもりの残る恋女房の骸(むくろ)を抱きしめ、惣吉は人前もかまわず号泣(ごうきゅう)した。 喪(も)が明けると日和をえらんで惣吉らは、日頃信仰する伊勢の「青ノ峰(あおのみね)様」へお礼参りをした。 この日を境に、彼は二度と船に乗らなかった。好きな魚も断ち、おさな児をかかえて両親と農事に励んだという。後添いは娶(めと)らなかった。彼にはどうしても妻が、自分の身代りになってくれたと信じられたのだろう。 「遠州七不思議」の一つに「遠州灘の波小僧」がある。網にかかった波小僧が命ごいのお礼に、海底の西・東で太鼓を鳴らして天候の変わりめを知らせる、という民話だ。櫂(かい)や櫓(ろ)を鋤(すき)鍬(くわ)にかえ、土に親しむ惣吉にとって、折々に聞いた波の音は、いとしい亡妻(つま)のさざめきとなって、ひたひたと語りかけたにちがいない。海鳴りは、きょうも聞こえるだろうか。 (「年中行事と昔ばなし」より) |
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