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第123話 | (じゅんこぼうだいしどう) 順故坊大師堂(森町) |
一宮(いちのみや)の赤根(あかね)地区の小高い山の上に、 「順故坊大師堂」 という、古ぼけたお堂があり、そのあたりには、こわれかけた石塔(せきとう)などがあります。 百何十年か昔のことです。 年をとった女の六十六部(ろくじゅうろくぶ)が一人、鉦(かね)をならしながらこの赤根にやってきました。 そしてある家の門口(かどぐち)に立って、ひとくさりのお経(きょう)を読み、ほどこしのお茶をもらうと、「ああ、つかれた。」 と、腰(こし)をおろしてしまいました。 「どうなさいました…。」 「私は、持病(じびょう)がありましてね。」 「それはお悪いことで…、まあ家の中にお入りなさい。」 親切なその家の人は、この女の六十六部をしきりにいたわってあげました。 すると、女の人は、身の上を語り出しました。 「私は順故坊という、関東(かんとう)の者ですが、若い頃(ころ)八人の子を産(う)みましたが、どうしたわけか、四人は死産(しざん)、二人は早死(はやじ)にで、残ったのは二人だけでした。」 「なるほど。」 「そんな不幸なのは、前世(ぜんせ)に何かのわざわいがあったのかもしれません。そのように人にもいわれたので、つぐないのために、二人の子供が大きくなったのをきっかけに、こうして六十六部になって、あちこちのお寺やお宮をお参(まい)りしているのでございます。」 「それはそれは。」 「ところがこの頃、持病の胸の苦しみが出て…。」 と言うのでした。 それでその家の人は、親切にかいほうしてやりましたが、六十六部は三日目に、 「村の人にも頼(たの)んで、村中の見える山の上に、穴(あな)を掘ってください。そして私を桶(おけ)に入れて中に埋(う)めてください。私は息のあるうち中(じゅう)鉦(かね)をたたいていますから、鉦の音がやんだら、死んだと思ってください。」 と言いました。 「まあ、そんな…。」 「いえ、これが私のかねてからの望(のぞ)みです。その代り、私が死んでからは、この村に難産(なんざん)の人がないよう、まもってあげます。」 村の人たちはその真剣(しんけん)なことばにうたれて、そのとおりにしてやりました。その後五日間、穴の中で鉦の音がしていたといいます。 そして今にいたるまで、この村の女の人は、不思議(ふしぎ)と難産(なんざん)に苦しむ人は一人もいないということです。 その六十六部をまつってあるのが、この順故坊大師堂です。 (注)六十六部…書(か)き写(うつ)した法華経(ほっけきょう)を全国六十六ケ所の霊場(れいじょう)に一部ずつ納(おさ)める目的で、お宮やお寺を旅して歩く坊さん。 (「森町ふるさとの民話」より) |
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