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第124話 | (もろいのひらきまつ) 諸井のひらき松(袋井市) |
浅羽から袋井へ行く県道の、諸井(もろい)と馬場(ばんば)の間に、西から東へ流れる小川が近年までありました。そこに「ひらき松(まつ)橋(ばし)」という橋がありました。 むかし、この橋の西五〇メートルぐらいの所に、「諸井のひらき松」とよばれている、大きな枝ぶりのよい松があったといわれています。 そのころ「遠州の三松」といって、遠江国(とおとおみのくに)には三本の大松があったといいます。 1、美薗(みその)の松(浜北市) 2、音羽(おとわ)の松(浜松市) 3、諸井のひらき松(浅羽町) の三本でした。 諸井(もろい)のひらき松は、高さ約四メートル、幹(みき)の周囲約三メートル、枝は四方へ二〇メートルぐらいずつ広がり、その葉先は田んぼの水に着いていたということが古い書物に書いてあります。 ある時、ここを通った横須賀(よこすか)の殿様は、この松がほしくなり、お城の庭園へ植えるように、と家来に命(めい)じました。家来は、さっそく植木職人を集めてほらせました。しかし、大きいので一日ではとてもほり取ることができませんでした。 そして次の日、今日はほり取ってやろう、と出ていって「あっ。」と驚(おどろ)きました。昨日ほり上げた土はすっかりうめられ、松の根元は元どおりになっていたのです。殿様の命令ですから、その日もまた、一生けんめいほりました。そして次の朝行くと、また元どおりになっているのです。何日つづけても、ひらき松をほり取ることはできないので、殿様はとうとうあきらめてしまいました。 何百年もの長い年月、多くの人にだいじに育てられ、親しまれてきた松です。殿様のものになって、りっぱなお城に行くよりも、いつまでも村人たちの近くにいて、「諸井(もろい)のひらき松」といわれていたかったのではないでしょうか。 明治のはじめごろかれてしまったといいます。しかし村人たちは、この松を後(のち)の世(よ)にながく伝えたいと、近くの橋に「ひらき松橋」と名づけたのでした。 (「のびゆく浅羽」より) |
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