三倉(みくら)の名物うぐいす餅(もち)については次のような逸話(いつわ)が伝わっています。
戦国時代も末のある春の日、三倉の里の一軒の茶屋に腰をおろした、いでたちも凛々(りり)しい一人の武士がありました。茶屋の婆さんはまずお茶を進(しん)ぜ、続いて京菜と大豆をつぶしてまぶした餅をさし出しました。
この餅は、この茶屋に限らず、このあたりの家々では賓客(ひんきゃく)の来訪(らいほう)があった時には、必ずといっていいほど食膳(しょくぜん)に供(きょう)したものだということです。
武士は一口頬張(ほおば)るとその美味(びみ)を賞(しょう)し、餅の名を尋ねましたが、別に名前はないという、そこで武士は「形といい、色といい鶯(うぐいす)にそっくりじゃ、“うぐいす餅”と名付けたらよかろう」と言い残して秋葉(あきは)を指して立ち去っていったそうです。この武士こそ誰であろう、戦国の名将(めいしょう)とうたわれた山中鹿之介(やまなかしかのすけ)その人でした。
それからのち「うぐいす餅」は三倉の名物となり、鹿之介が立ち寄った茶屋は「うぐいす屋」と呼ばれ、大正時代まで続いたということです。近くには「うぐいす沢」と呼ばれる流れが三倉に注いでいます。
(戦国夢街道「うぐいす餅」説明看板より)
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