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第127話 | (しもきどのじろひち) 下木戸の次郎七(袋井市) |
徳川時代の末頃、山梨の下木戸(しもきど)[下町]に通称「じろ七(じろひち)」という人が住んでいました。母親と二人で少しばかりの田を作り、ささやかに生活していました。 このじろ七は、足も速いし、仕事も神わざで、碁も強い人でした。 ある年のことです。もう六月でよその家では田植だというのに、じろ七の田んぼは春に起こしてあるだけになっています。母親は心配して、早く田植が出来るようにと息子に頼みました。 するとじろ七は、 「おっかさ、心配するな。三反ばかりの田がなんだ、夕べみんな代かきをして水を入れてあるから植えなさい」といいました。 母親は驚いて田んぼに行ってみると、ほんとうに植えるばかりになっていました。 又、ある年の九月、大水が出て太田川のつなぎ橋が流され、人々は川向に渡れずに困っていました。そこへじろ七が来て、 「みなさん何をしているのですか」 ときき、川向うに渡りたいが困っているというと、「このように走って渡れば良い」と言いながら勢をつけて水の上をすべるように足早に川向うに渡って行ったということです。 じろ七は碁が強いので方々へかけ碁に出かけて行きました。 鎌田に金剛院というお寺があって、そこの和尚さんが碁が好きで、かけ碁もやりました。 じろ七は時々行っては負け、少しのお金をかけては和尚さんにもうけさせるので、和尚さんは、じろ七のくるのをいつも待っていました。 年もおしつまった十二月、じろ七はお寺を訪ね、「本年もわずかになりました」とあいさつをして「年越しでお金が入用だから、今日は多くかけましょう」といつもの何倍かのお金をかけて碁をはじめました。そしてみごとじろ七が勝ちました。もう一番もう一番と何番やっても和尚さんは負けつづけ、じろ七は和尚さんのお金をたくさん取りあげて、年越しのお金にしたといわれます。 三川の山田のある家に碁打ちのお客がきました。相手がないのでじろ七に頼みに来ました。 じろ七はごちそうになって祝儀がもらえるので、急いで出向きお相手をしました。 碁を打っているとじろ七は少しなりゆきが悪くなったので、小用といって便所に立つふりをして浜松に走りました。いつも行きつけの碁の先生の所で打つ手を教わりました。 そして飛んで帰り何くわぬ顔をして席につき、その碁に勝ちました。 相手の碁打ちも感心して、その手がわかるのは浜松の某(それが)ししかないがと、頭をかしげていたという事です。 わずかの間に、浜松まで往復するという足の早さは驚くほかはありません。 (「袋井に伝わる昔話」より) |
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