応永十八年、当山二祖恕仲禅師が在住していた時、阿浄坊という者が禅師の教えに感じるところがあり、たびたびこの井戸の中を見ていると、水は清らかで鏡のように自分の姿が映っていました。ある日、井戸を見るといつものように姿が見えませんでした。阿浄坊は、禅師に教えを乞い悟るところがあったので、大恩に感謝して秋葉山へ行きました。
「私は、当山のため火盗の難を守ります。もし願うことがあれば、彼の井戸を見よ、吉兆禍福が必ず現れるでしょう」それ以来、この井戸を「秋葉の御影水 御影井戸」というようになりました。
原文:大洞院「御影井戸」案内看板[以下参照]
応永(おうえい)十八年当山二祖恕仲禅師(じょちゅうぜんじ)在住の時阿浄坊(あじょうぼう)なるもの禅師の教へに感ずるところあって折々此の井戸の中を見るに水清らかに明鏡(めいきょう)の如く己の姿が映じたが或る日姿がいつもの如く見えずよって禅師に教へを乞い悟るところがあり鴻恩(こうおん)を謝し秋葉山へ行く。「吾は当山のため火盗(かとう)の難を守らん若し願うことあらば彼の井戸を見よ吉凶禍福(きっきょうかふく)は必ず現れん」と以来秋葉の御影水(みかげすい) 御影井戸(みかげいど)と云うようになった。 |