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(ひとことざかいくさあと) 一言坂戦跡 |
逃げていた家康が追いつかれた坂(磐田市) |
一言坂案内石碑(令和5年5月撮影) | 現在の一言坂(令和5年5月撮影) |
名称:一言坂戦跡 (ひとことざかいくさあと) 所在地:静岡県磐田市一言 地図:Google Map (別ウィンドゥで表示) 駐車場:無し この坂は「一言坂」といいます。元亀(げんき)3年[1572年]甲斐国(かいのくに)[山梨県]から攻め込んできた武田信玄と遠江国(とうとうみのくに)[静岡県西部]の領主であった徳川家康との間に戦いが起こりました。袋井市の三箇野川(みかのがわ)の戦いで敗れた徳川軍は、浜松城を目指して敗走しましたが、一言坂で追いつかれ、再び合戦となりました。これが「一言坂の戦い」です。 この時に敗走する徳川軍を救ったのが、家康重臣の「本多平八郎忠勝」でした。平八郎は「とんぼ切り」といわれた大槍(おおやり)を振り回しながら一人奮戦し、枯れ草に火をかけ、その煙の中、見事に味方の軍を退却させたと伝えられています。 敵の武田軍も、この時の武勇をたたえ、「家康に過ぎたるものがふたつある、唐(から)の頭(かしら)[兜]に本多平八」と書いた札を磐田市国府台(こうのだい)に立てたといわれています。 説明文参考資料:一言坂戦跡説明文看板 |
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