トップ > 中遠めぐり > 中遠めぐり(令和5年11月)出世六の字穴 | ←前へ戻る |
(しゅっせろくのじあな) 出世六の字穴 |
家康が武田軍に追われた時に隠れて命拾いをしたほら穴(袋井市) |
出世六の字穴の内観(令和5年11月撮影) | 出世六の字穴の外観(令和5年11月撮影) |
名称:出世六の字穴 (しゅっせろくのじあな) 所在地:静岡県袋井市久能 地図:Google Map (別ウィンドゥで表示) 駐車場:有り ※安全性の観点から見学は入り口付近までとなっています。 戦国時代、徳川家康は武田信玄と戦いにおいて遠江・森、袋井方面へ攻めてきた武田勢に追われ、可睡齋のほら穴に隠れて命拾いをした。 その後、家康は浜松城主となり、やがて駿府城、江戸城などを築き国を平定し、江戸幕府を開いて将軍となった。 その出世の故事になぞらえ、可睡齋のほら穴は、家康公の威徳を称えていつしか「権現洞」と、また「出世六の字穴」とも呼ばれるようになった。 出世六の字とは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の世間から解脱する「出世間」からとも、あるいは六観音や六地蔵に由来するとも伝えられる。 なお、可睡齋にはその後、徳川幕府より駿河・遠江・三河・伊豆の寺院を統括する「僧録司」の職と十万石の待遇が与えられた。 説明文参考資料:出世六の字穴の伝説 説明看板 |
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